カテゴリー「写真家」の3件の記事

2007年3月18日 (日)

#3 カポーティとアヴェドン

 2007年3月17日(土)曇り

 ポートレイト写真といえば、リチャード・アヴェドンかアーヴィング・ペン。Photo GRAPHICA 06号はちょうどポートレイト特集で、上田義彦を巻頭に持ってきていたけれど、総論ではやっぱりアヴェドンとペンに触れていた。

 『カポーティ』を見ていたら、トルーマン・カポーティが死刑囚に会いに行く場面で「アヴェドンも呼んでおいてくれ」といっていた。映画の中では、ハッセルブラッドで死刑囚の写真を撮影する写真家が出てくる。たぶん、あれがアヴェドンだ。

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2007年3月17日 (土)

#2 鬼海弘雄のこと(続)

 3月17日(土)曇りときどき晴れ

 「人生いろいろだね」といいながらも、ぼくとつきあいのある人たちはぼくとたいして変わりがない。ぼくたちには共通了解というかルールがきちんとある。

 想像を絶する枠組みの中に放り込まれる経験は、日常生活ではほとんどないといっていい。

 鬼海が撮った肖像写真を見ていると、「ともかく人は圧倒的に孤独なのだ」と感じる。

 ふだん、いかにぼくが誰も彼もを十把一絡げに見ているか。想像力を働かせることなく、機械的にストックフレーズを発信し続けているか。

 個人はどこまでも個人なのである。その人独自の細部を膨大に積み重ねてユニークな存在感を形作る。

 そして、他人を理解するのは不可能。無理くりに理解しようとするのではなく、そのままで受け入れるしかない。それはすごく勇気のいること。

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#1 鬼海弘雄のこと

 3月16日(金)少し雪のち晴れ

 写真家 鬼海弘雄が撮る肖像写真は、ダイアン・アーバスのフリークス写真を連想させる。とはいえ、実際、“そのような人々”は混じっていないのだろう。

 アーバスの被写体から感じるあからさまな狂気は、鬼海の写真には感じられない。では、アーバスと鬼海を繋ぐ共通点は何なんだろう。何かがあるのだが、うまく言葉に置き換えられない。

 写真集「PERSONA」(草思社)は、浅草寺付近を徘徊する人々に声をかけ撮影したもの。モノクロの120フィルム1本がひとり分。ハッセルブラッドで丁寧に撮った。
 
 法政大学文学部哲学科出身。

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